<姫神・星吉昭さんの音楽~東北への憧憬>

③深化編Ⅱ

 

ベスト盤MOONWATERやアルバム『炎・HOMURAといった、静かでメロディアスな、ニューエイジ系の姫神作品を愛聴していた、高校時代の僕。

 

そんな僕が、1995年に手にした、姫神ニューアルバム『マヨヒガ』は、それまでの姫神作品のイメージを覆す、ダンス・ビートやハウス音楽の要素を取り入れた、リズミカルでダンサブルな作品でした。

 

静かで穏やかな曲を好んでいた当時の僕は、『マヨヒガ』に対し、最初は強い拒絶感を抱きました。

自分自身が姫神作品に求めていた好きな作風とは、正反対なものだったからです。

 

とは言え、この『マヨヒガ』というアルバム。

何とも不思議な魔力を持ったアルバムで、しばらく経つと、無性に聴きたくなってしまう…という力を宿していました。

 

最初は、気に入った3曲だけ(美しいメロディー・ラインの2曲目「琥珀伝説」、穏やかな4曲目「花鳥巡礼」、日本の祭囃子を思わせる5曲目「白鳥招来」)を聴くために、CD『マヨヒガ』をかけることが多かったのですが、やがて、「明けの方から」や「山の神」も聴くようになりました。

 

あれだけ、拒絶反応を持った、クラブ・テイストなダンス・ビートにも次第に慣れてきたのか、気が付くと、全10曲を通して聴くことが多くなっていました。

 

『マヨヒガ』の5曲目「白鳥招来」は、NHK教育テレビ(現Eテレ)の番組『ふるさとの伝承』のテーマ曲だったのですが、このアルバムを聴いたのがきっかけで、その『ふるさとの伝承』を視聴するようになりました。

 

『ふるさとの伝承』は、日本各地の里や村に伝わる文化や、民間伝承などを、映像として後世に残そうとする教養番組でしたが、姫神のテーマ曲がまさにピッタリな内容で、毎週見るようになりました。そして、番組を通して、日本の伝統文化の素晴らしさ、大切さを知ることができました。

 

また、これも『マヨヒガ』を聴いたのがきっかけかと思われますが、それまではあまり聴いてこなかった、日本の民謡をたくさん聴くようになりました。

 

『マヨヒガ』発売を知らせる新聞記事に、星さんの談として、次のような言葉がありました。

「若い人に、民俗芸能とのジョイントがカッコいい!と思ってもらいたい。」

 

その星さんの思いが、『マヨヒガ』のCDを通して、高校生だった僕の心に伝わってきたのかもしれません。

 

このように、最初は、そのあまりの作風の変化について行けなかった『マヨヒガ』ですが、やがて、僕の音楽的思考にも、大きな変化をもたらす重要な作品となりました。

 

『マヨヒガ』を通して、日本の文化や日本の民謡への興味が開かれ、次第に、星さんがテーマとし、拠点とする“東北”への関心や憧れが湧いてきました。

 

母親が雪国の福井出身とは言え、関西で生まれ育った自分にとって、東北地方や岩手は、縁もゆかりもない所でした。

 東北の風物というと、昔話の絵本とかで見たような、雪深い風景や方言のイメージでした。

 

でも、姫神作品を通して、東北に興味を持った僕は、学校の図書室で“東北”に関する本を見たりしました。

(“南部の曲り家”の写真集とかを見ていて、友人からは不思議がられたりしたものです)

「いつの日にか、東北・岩手に行ってみたい!」

いつしか、まだ見ぬ東北・岩手は、旅で訪れてみたい憧れの場所となっていました。

 

 

高校を卒業し、音楽系大学に進学した僕は、学校での音楽の勉強の傍ら、姫神作品も変わらず愛聴し続けていました。

 

そんな1996年のある日。

作曲家の服部克久さんがDJをつとめるNHKFMの番組で、姫神特集がオンエアされました。

 

その番組では、当時リリースされたばかりのニューアルバム『風の縄文』の曲や、デビュー曲「奥の細道」など数曲が紹介されました。

 

実は、星さんのデビュー曲「奥の細道」を聴いたのは、この時が初めてだったのですが、聴いてみて驚きました。

 

『マヨヒガ』のようなビートではありませんが、ジャズ・フュージョン・テイストの、なかなかノリの良いリズミックな曲でした。

 

この時、分かりました。

『マヨヒガ』は、新境地を開いたというよりも、原点回帰をされたのだ、ということを。

 

また、ニューアルバム『風の縄文』からは、「草原伝説」と「風の大地」の2曲が紹介されました。

前作『マヨヒガ』のダンス・ビート路線を引き継ぎつつ、さらに発展させた曲調でした。

 

喜多郎さん、宗次郎さん、久石譲さんは、一時期、アルバムの作風が激しい曲調に変わったものの、その後すぐ、元の静かで穏やかな路線に戻りましたが、星吉昭さんはこのダンス・ビートの路線のままで、今後も行くつもりなんだな!と感じました。

 

ラジオで聴いてすぐに、CD店に『風の縄文』を買いに行きました。

 

前作『マヨヒガ』のおかげで、多少なりともダンス・ビートに馴染んだこともあり、『風の縄文』は何度も繰り返し愛聴する、お気に入りの作品となりました。

 

通っていた大学(大阪芸術大学)が、南河内の古墳群に立地し、考古学系の博物館が近くにあったこともあり、古代史や考古学に強く興味を抱いていたので、縄文世界をテーマにした『風の縄文』は本当に素晴らしく、とても親しみの持てるアルバムでした。

(※ちなみに、南河内の太子町に“竹内街道歴史資料館”という、歴史系の資料館があるのですが、そこを訪れた際、館内のBGMが姫神作品でした。「まほろば」などが流れていましたが、雰囲気がピッタリでした。姫神作品は、“歴史”と親和性が高い音楽だと思います。)

 

この頃を境に、学生時代から20代にかけて、少しずつ姫神作品を集めて行き、やがて全てのアルバムを揃えました。

 

 

学生時代の1997年の1月。

星さんが出演し、また、姫神作品と東北文化を紹介するテレビ番組が放映されました。

 

TBS系の番組『報道特集』で、“姫神が紡ぐ東北大陸”と題してオンエアされました。

 

星さんが、東北各地(十三湊や恐山、三内丸山遺跡など)を旅し、また、姫神の作品を紹介するとともに、平泉や遠野、安東一族といった東北の文化を、映像を交えて紹介されていました。

 

それまでCDで、“音”のみを聴いていた姫神ワールドが、実際の東北の映像や星さんのお姿を見ることで、より深く理解する助けとなりました。また、この番組は、のちに東北・岩手を旅する際の参考に大変役立ちました。

 

また、この時ビデオに録画したのですが、その後DVDにダビングし直して、今でも時々見返しています。

生前の星さんのお姿や、スタジオの様子、星さんが愛した東北の風景を知ることができる、いい番組でした。

 

この『報道特集』はTBS系の番組でしたが、今思えば、のちの同じくTBS系番組の『神々の詩』の曲を担当する布石だったのかもしれませんね。『報道特集』の“姫神特集”からほどなくして、199710月から、ドキュメンタリー番組『神々の詩』が放映開始となりました。

 

姫神がテーマ曲担当ということで、日曜の夜、テレビをつけて視聴しました。

 

アルバム『風の縄文』の路線を引き継ぐ作風で、独自の女声コーラス(歌詞は縄文語)と、ダイナミックなサウンドとビートが印象的なテーマソングでした。

 

『マヨヒガ』『風の縄文』からのサウンドの発展形だな、という第一印象を抱きましたが、オープニング映像ともよくマッチしており、とても力強い曲だと感じました。

 

番組放送開始より、テーマ曲「神々の詩」は話題となり、シングルは姫神作品史上最大のヒットを記録。オリコン・チャートにもランクインし、それまでは知る人ぞ知る存在だった“姫神”が、一躍、時の人となってしまいました。

 

また、1998年には、「神々の詩」のフル・バージョンである、「神々の詩 海流バージョン」を収録したアルバム『縄文海流 風の縄文Ⅲ』が、日本レコード大賞企画賞を受賞。一気にメジャーなアーティストとなりました。

 

ただ、その弊害もあり、“姫神=女性コーラス+ダンスビート”というイメージが根付いてしまい、“姫神”というのは、星吉昭さんのことではなく、縄文語で歌っている女声シンガーの名前(アーティスト名)だと勘違いしている人や、日本版アディエマスと呼んだりする人が現れるようになりました。

(この頃の姫神の作風からすると、アディエマスよりもむしろ、ディープ・フォレストの方が近いような気がします)

 

でも、「神々の詩」やレコード大賞をきっかけに、多くの人が姫神作品に触れ、過去のニューエイジ路線の頃の作品なども聴いてもらうことにつながれば、「神々の詩」のヒットは、大成功だったと言えます。

 

新聞やマスコミなどの露出も、日本人ニューエイジ・アーティストの中では、喜多郎さんや宗次郎さんに次ぐ存在だった姫神・星吉昭さんが、一番手に名前が挙がるようになり、、特集記事も以前にも増して多く見られるようになりました。

 

アルバムSEED『千年回廊』の発売特集や、日本人アーティストとしては初の、エジプト・ピラミッドでのコンサートなどが盛んに、記事で報道されていました。

 

星さん、すっかりメジャーな存在になったなあ…と、妙な感慨を覚えたものです。

 

しかし、その大活躍も長くは続かず、やがて2004年の秋がやって来ます…。

 

 

深化編Ⅲにつづく>