「神々の詩」の大ヒットで、一躍メジャーな存在となった、姫神・星吉昭さん。
その後も、同じTBS系ドキュメンタリー番組の『未来の瞳』のテーマ曲を担当されました。
2000年に放送された番組でしたが、そのテーマ曲「未来の瞳」は、「神々の詩」とはうって変わって、笛系の音色が印象的な、静かで温かい感じの曲調でした。
どちらかというと、中期のニューエイジ路線の頃の作風に近い曲調で、とても気に入りました。
「未来の瞳」は、同年11月に発売されたアルバム20作目『千年回廊』に収録されていましたので、早速購入。このアルバムも、よく聴く愛聴盤となりました。
『マヨヒガ』~『SEED』の頃ほどには、激しいリズムやダンスビートもなく、どちらかというと、ゆったりめの曲が多い印象を受けました。また、オーケストラやギター、チェロなどアコースティックなサウンドを多用しているのが印象的でした。
3曲目の「未来の瞳」が良かったのは言うまでもありませんが、1曲目の「千年の祈り」が圧巻でした。
姫神作品の中では唯一、管弦楽を用いている曲で、フル・オーケストラのサウンドとシンセ、そして姫神ヴォイス(女声コーラス)が一体となった、スケール感のある大作でした。
アルバム『千年回廊』で、星さんは新たな作風を切り開いたな…と感じました。
(ただ、『千年回廊』の作風は、その後の『青い花』『風の伝説』に引き継がれることはありませんでしたが…)
そんな名曲「千年の祈り」を、TVで、星さんの生演奏で聴くチャンスがやって来ました。
それが、アルバム発売の翌年2001年の春に、ニュースステーションで放送された、“夜桜中継”でした。
ニュースステーションでは、それまでにも様々な音楽家の生演奏を中継することがあり、羽田健太郎さんや宗次郎さんの生演奏中継を見たことがありました。
(ちなみに、宗次郎さんは、雨が降る法隆寺で、アルバム『風人』より「いにしへの風」をオカリナ・ソロで演奏されました)
その日、新聞のテレビ欄で姫神の生演奏があることを知り、ビデオ録画の用意もして、放映を待ちました。
キャスターの久米宏さんが、「生演奏にのせて、桜を愛でてみようと思います。…場所は民話のふるさと、岩手県の遠野です。姫神の星さん!」と呼びかけました。
テレビ画面が切り替わり、遠野の夜桜並木と、星さんの姿が映りました。テロップには、“シンセサイザー奏者『姫神』星吉昭”と書かれていました。
星さん「あ、どうも、こんばんは。」
久米さん「(遠野の夜桜を見て)あぁ~、きれいだな~。それは、何分咲き、満開でしょうか?」
星さん「ええ、ちょうど満開というとこですね。」
久米さん「桜のそばにいると、人間の気分というのは、高揚するものでしょうか?落ち着くものでしょうか?」
星さん「(ちょっと首をかしげてから、少しおどけた表情で)え~、何かこう…、花咲かじいさんになったような感じです。」
久米さん&報道スタジオ「(大爆笑)」
久米さん「星さんは、今お住まいなのは、岩手県和賀郡東和町、田瀬湖という湖のほとりで、山荘風のお住まい兼スタジオがあるとお伺いしているのですが…。やはり、東京よりは、岩手の方がいいですか?」
星さん「そうですね。何かこう…のんびりしているところが、自分の気性に会っていて、そういう所がいいです。」
久米さん「東京にも、しばらくお住まいになったことがあると聞いていますが、やっぱり、駄目でした?」
星さん「(力強くうなずいて)はい!」
~報道スタジオで軽く笑いが起こる~
星さん「そうですね…。何かこう、いっぱい人間がいるとですね、何かこう、気持ちがせわしくなって…。田舎の方が、僕の気分には合ってるなあって感じがします。」
久米さん「あの、生演奏をお願いするのですが、ちょっと気温が低すぎませんか?生演奏には。」
星さん「ええ、ほんとに冷えてしまいまして…。でも、大丈夫です!(となりにいる、姫神ヴォイスの3人と、パーカッション担当のご子息・星吉紀さんの方を見て)さっきからみんな、がんばってスタンバイしております!」
久米さん「よろしくお願いします。今、気温は0度くらいだそうです。それでは、「千年の祈り」です。」
演奏が始まりました。
アルバム収録版とは違い、イントロをごく短く切り上げて、主旋律が奏でられました。
生オーケストラではなくシンセによる音源で、この日の演奏のために、特別に用意されたバージョンのようでした。
重厚なストリングス・サウンドがシンセで奏でられ、Bメロでは、星さんのシンセ・リードの音がメロディーを奏でます。
よく考えたら、姫神・星さんの生演奏を丸々一曲聴く(見る)のは、今回が初めてでした。
実は姫神コンサートには行ったことがなく、星さんの生演奏をじっくりと聴くのは、この時が初めてということになりました。
(姫神コンサートは東北で開催されることが多いので、関西在住の自分は、なかなか行くチャンスはなかったのでした。また、大阪でコンサートをされたこともありましたが、都合がつかず行けなかったりして、生前の星さんの生演奏をコンサートで聴く機会を結局得られませんでした)
姫神ヴォイスによるコーラスも入り、曲は盛り上がって行きます。
そして、いよいよエンディング…というところで、いきなりCMが入りました。
「ええぇ~!そこで切る!?」と思いましたが、どうやら、放送のタイムスケジュールから時間切れになったようでした。
演奏前に長々と、久米宏さんがしゃべっていたせいだと思いました…。
そんなわけで、演奏の途中で切られてしまいましたが、星さんの生演奏を堪能するという意味では満足できました。
この時の録画も、1997年の『報道特集』と同じく、DVDに録り直して今でも時々見返しています。
さて、この“ニュース・ステーション”での生演奏があった2001年頃と言いますと、僕は大阪芸大卒業後、音楽とは無関係の仕事で生計を立てつつ、仕事以外の時間をフルに使い、音楽活動を続けていました。
学生時代から引き続き、ヒーリング・ニューエイジ音楽の創作や演奏、そして探求に取り組み、喜多郎さんや久石譲さん、そして姫神・星吉昭さんなど、様々なアーティストの作品を聴いては楽曲分析をし、偉大な先達として様々なことを学び取ろうと努力していました。
姫神作品のCDも少しずつ揃えて行っており、星さんの音楽から学ぶことは多々ありました。
そして、2004年…。
この年の4月に発売されたニュー・アルバム、通算22作目『風の伝説』のプロモーションで、星吉昭さんは大阪を訪れ、ラジオ出演をされました。
たしか、発売されて間もない頃だったと記憶しています。
関西の人にはおなじみのタレント、浜村淳さんがパーソナリティをつとめるラジオ番組で、星さんは出演されました。
(たぶん、MBSラジオの「ありがとう浜村淳です」)
浜村さんと星さんで会話をしながら、新作『風の伝説』から数曲、紹介されました。
この時の星さんの、穏やかな語り口を覚えています。
アルバム『風の伝説』より、「砂山・十三夜」がオンエアされた後の会話が、記憶に残っています。
浜村淳さん「いや~、この曲も素晴らしくて、とても癒されます。“十三”というのは“とさ”と読むそうですね?」
星さん「ええ、そうなんです。」
星さんは、十三が青森・津軽の地名であることを紹介し、説明されました。
浜村淳さん「そうなんですか。…しかし、これ…わたしら、“じゅうそう”と読んでしまいそうですなあ。」
星さん「……?」
いやいや、浜村淳さん、東北人の星さんに、そんな大阪の鉄道ネタ言うても、通じへんやん!…と思わずラジオにツッコミを入れてしまいました。
何はともあれ、印象に残った、星さんの大阪でのラジオ出演でした。
この時に聴いた星さんの声が、生前に聴いた最後の肉声となってしまいました。
(ちなみに、“十三=じゅうそう”というのは、阪急電車の駅の名前です)
このラジオ出演から、わずか数か月後。
星吉昭さんは、帰らぬ人となってしまいました。
2004年10月2日の朝刊。
新聞を眺めていて、訃報欄に、顔写真入りで星吉昭さんが載っているのが、目に入って来ました。
最初、自分の眼を疑いました。
しかし、そこには、“シンセサイザー奏者「姫神」として活躍された星吉昭氏。10月1日盛岡市内の病院で心不全のため死去。58歳”と、間違いなく記載されていました。
あまりのショックで、しばらく身動きができませんでした。
ついこの前、ラジオで浜村淳さんと、あんなに和やかに話しておられたのに…。
それに、58歳なんて、逝くには早すぎる…。
残念でなりませんでした。
その後、僕は、星吉昭さんの生前の偉大な功績を偲びつつ、姫神のオリジナル・アルバム全22作品を買い揃え、また、姫神の唯一のライブDVD『姫神 浄土曼陀羅+MORE PICTURES』を購入しました。
姫神・星吉昭さんの魅力あふれる作品とその功績は、永遠に不滅です。
<※星吉昭さんの死因に関して>
その後、星吉昭さんの病が、食道がんであったことを別の新聞記事で知りました。
その記事では、星さんは2003年3月に初期の食道がんと診断されたこと。そして、東京都三鷹市で新免疫療法という医療を行うクリニックで治療を受けたこと。しかし、回復せず2004年に亡くなったこと。そして、そのクリニックの経営者の医師による説明が不十分で、星さんが適切な治療を受けられなかったとして、星さんの遺族が損害賠償を求める訴訟を起こしていることを報じていました。
東京地裁での判決は、「新免疫療法だけでは癌を根治できないことの説明が不十分で、患者(星さん)が治療法を選ぶ権利を侵害した」と認め、賠償を命じる判決が出て、遺族側の勝訴となったことも報じていました。
<星吉昭さんの足跡をたずねて~岩手への旅Ⅰにつづく>