<姫神・星吉昭さんの音楽~東北への憧憬>

⑤星吉昭さんの足跡をたずねて~岩手への旅Ⅰ

 

星吉昭さんが200410月にお亡くなりになり、その後僕は、姫神オリジナル・アルバム全作品を揃えました。

 

…ですが、2005年~2007年頃にかけては、ニューエイジ音楽からは少し離れ、どちらかというと映画音楽に魅了され、邦画中心に映画音楽畑のアーティストをメインに聴いたりして学んでいました。

 

曲も、シンセサイザーよりも生オーケストラの音楽を好み、管弦楽曲を中心に聴いていました。

 

映画音楽も手がけておられる、久石譲さんや喜多郎さんは変わらず聴いていましたが、宗次郎さんや姫神・星吉昭さんの音楽は、あまり聴かなくなっていました。

 

 

そんな中、むかえた2008年。

2月から約2か月間、思い切って東京に滞在してみることにしました。

 

日本の映画産業の中心地であり、当時、聴いて学んでいた映画音楽・映像音楽は、ほとんど東京で生み出された作品ばかりでした。

 

東京へは、何度か旅で訪れたことはありましたが、大阪府の奈良寄りの田舎の方で生まれ育った自分にとっては、住むとなると未知の世界です。

 

一度、日本の中心である東京の姿・空気を知ってみたいと思ったのが、きっかけかもしれません。

自分自身の人生勉強のつもりで、東京に行きました。

 

最小限の家具のついた部屋を借り、2か月間の滞在をスタートさせました。

 

最初は新鮮でした。

まさに、日本のエンターテイメント産業・音楽産業の最先端、中心地であることを実感できました。

 

…しかし、数週間ほど経つと、東京の空気に疲れてきている自分がいました。

「これが、コンクリート・ジャングルというやつか…。」

 

僕をそう思わせた理由の一つが、広い関東平野まっただ中の東京では、山が見えないことでした。

 

「東京でも、晴れていたらビルの屋上とかから富士山くらい見えるだろう?」と、反論がかえって来そうですが、ここでいう“山”というのは、緑の“山並み”のことです。

 

関西以外の方からは意外に思われるかもしれませんが、大阪では山並みがよく見えます。

大阪府周縁部、北から北摂山系東を生駒・金剛山地、南を和泉山脈と、三方が山に囲まれており、都心からでも、電車で2030分程度乗れば、山のそばの所へ行けます。

 

まして、山がよく見える田舎の方で生まれ育った身としては、山並みが見えない場所というのが、こんなにも息苦しく感じるものなのか…と思ったわけです。

 

また、大阪でも電車通学・通勤をしていたので、ラッシュには慣れているつもりでしたが、東京の電車の混み具合は、大阪の比ではありませんでした。

(ラッシュ時だと、大阪の数倍は凄まじいような体感がありました)

 

いろんな意味で、東京の姿・空気を味わいました。

そして、前述のような、大阪府周縁部や奈良・京都の緑の山並みが恋しくなっていきました。

 

(※とはいえ、大阪府でも、大阪市の中心部・都心部はたしかに緑は少ないです。大きな公園は大阪城と靭公園くらいですし、街路樹が多い通りも御堂筋くらいです。都心部に関しては、大きな公園や街路樹が豊富な東京の方が、緑の木々が多い印象があります。その代わりに、大阪には山並みが見えるという利点があるのかもしれませんね。また、東京都でも、郊外の奥多摩や高尾山などでは、山々や自然が多いことは知っていますが、ここで言う東京とは、いわゆる23区特別区を中心としたエリアのことを指して言っています)

 

 

東京に滞在している内に、自分の目指すものが、映画音楽など東京で生み出されたような音楽ではなく、もっと土地に根ざしたような音楽であるのではないだろうか。それは、自分にとっては、生まれ育った近畿地方の、美しい風物や歴史遺産にもとづいた自然の風景などからインスパイアされ、しっかりとそれらに根ざした音楽の中にこそ、あるべきではないだろうか。と考えるようになって行きました。

 

 

2005年以降、すっかり眠っていた、自分の中のニューエイジ・ミュージシャン魂が、甦って来ました。

 

ふと、「…あれ?今の自分に似たような境遇を、どこかで聞いたことがあるような…。」と思いました。

答えはすぐに見つかりました。

 

“姫神の星吉昭さん!”

 

僕は自分のCDコレクションも持って来ていたので、箱の中から、姫神作品を引っ張り出してきて聴きました。

 

数年間、あまり聴いていなかった姫神作品に耳を傾けている内、涙が出るくらい感動している自分がいました。

自分にとって最高のお手本、偉大な先達のお姿が、こんな身近なところに存在していたんだ…。

 

目からウロコが落ちる思いでした。

 

星さんの作品を次々に聴きました。

まるで、今までの分を取り戻すかのように…。

 

 

そして、高校時代に、喜多郎さんや宗次郎さん、そして姫神・星吉昭さんの作品に心酔し、ニューエイジ音楽を志した、自分の原点を思い出してきました。

 

「よし、東京から大阪に帰ったら、近畿の歴史や自然に根ざした作品を創っていこう!…かつて、星さんが東京から岩手に戻り、東北に根ざしたように。」

そう決意しました。

(その後、近畿に加え、もう一つの自らのルーツ・北陸も大きなテーマとなります)

 

 

星さんと自分を重ね合わせて比べるのは、大変おこがましいことですが、東京滞在を経て、自分自身を見つめ直すことができました。

(この時は2か月間滞在しましたが、今だと3日くらいが限界だと思います。根が田舎者ですので…。とは言え、東京には東京の素晴らしさがあることは重々承知しております。田舎者の自分にとっては、時々旅行で訪れたりするには、とても刺激的で面白い場所だとは思います)

 

こうして、ニューエイジ・ミュージシャン魂が復活した僕は、残された東京滞在期間中に、尊敬する喜多郎さん、宗次郎さん、そして姫神・星吉昭さんの足跡をたずねる旅に出ることにしました。

 

喜多郎さんは、鎌倉と富士山。

(これらは、喜多郎さんが若いかけ出しの頃に、拠点とされた場所です)

 

宗次郎さんは、栃木県の茂木町。

(茂木町は、デビュー当初、宗次郎さんが拠点とされていた場所です)

 

そして、星吉昭さんは岩手でした。

まず先陣を切って、星さんの岩手に向かうことにしました。

 

 

高校時代に姫神作品を聴いて、心のどこかで、一度行ってみたいと憧憬の念を抱いていた東北。そして、岩手。

 

ついに、その地を訪れる時がやって来ました。

星さんが、その生涯をかけて描き続けた“東北”。その姿・景色を見たい!

 

熱い期待を胸に、僕は、上野駅から東北新幹線に乗りこみました。

 

それは、2008329日土曜日の朝のことでした。

東京ではすでに、満開の桜が咲きほこっていました。

 

 

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